みなさんこんにちは。Koumeiです。
グエン・ドクさんは、「ベトちゃんドクちゃん」として知られる結合双生児の弟として、日本でも長年注目を集めてきた人物です。
2025年12月12日放送の「徹子の部屋」に出演することが決まり、SNSでは「37年ぶりの再会が感動的」「今の幸せな姿を見たい」といった声が多く見られます。
この記事では、ドクさんの現在の家族構成や妻・子供たちとの暮らし、そして日本との深い絆について詳しく調べてまとめました。
わたし自身、海外駐在経験が長く、国際交流の大切さを肌で感じてきましたが、ドクさんの生き方にはその真髄があると思います。
最後まで読んでいただければうれしいです!
ドクちゃん(グエン・ドク)が「徹子の部屋」に!37年ぶりの感動再会
2025年12月12日、テレビ朝日系「徹子の部屋」にグエン・ドクさんが出演です。
今回の出演は、ドクさんが黒柳徹子さんに手紙を送ったことがきっかけで実現したそうです。
(参考元:ニコニコニュース)
分離手術から37年が経ち、現在44歳になったドクさん。番組では、兄・ベトさんとの分離手術前の幼少期について、そして現在の生活について語られました。
「今、幸せ」だと語るドクさんの心の内が明かされる、感動的な内容だったようです。
ドクさんは2024年11月末にも来日し、東京・千葉・大阪・兵庫で講演会や映画上映会を開催していました。
そのタイミングで「徹子の部屋」の番組収録を行ったとのこと。日本との絆を大切にし続けるドクさんの姿勢が、今回の出演にもつながったんですね。
わたしも海外で暮らしてきた経験から、異国の地で自分を支えてくれた人たちへの感謝の気持ちは一生忘れられないものだと実感しています。
ドクさんにとって日本は、まさにそんな特別な存在なのでしょう。
現在のドクさんの家族構成は?妻と双子の子供と幸せな暮らし
ドクさんは現在、妻と双子の子供たちとともにホーチミン市で暮らしています。
2006年に結婚し、2009年には待望の双子が誕生。分離手術を乗り越え、家族を持つという夢を実現したドクさんの人生は、まさに奇跡の連続です。
妻・グエン・ティ・タイン・テュエンさんとの出会いと結婚
ドクさんは、2006年12月16日にグエン・ティ・タイン・テュエンさん(当時24歳)と結婚しました。
2人の出会いは、ドクさんが参加していたボランティア活動の場でした。テュエンさんは当時専門学校生で、約2年間の交際を経てのゴールインだったそうです。
結婚式はホーチミン市内のTAXデパートのレストランで行われ、日本から支援を続けてきた「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」の代表をはじめ、多くの関係者が祝福に駆けつけました。
ドクさんはスピーチで「日本で支援してくれた皆さんに感謝したい。特に生んでくれた両親に感謝したい」と語ったといいます。
テュエンさんは、ドクさんの人柄に惹かれて結婚を決意したとのこと。
結婚後は兄ベトさんを自宅に引き取り、夫婦で献身的に介護を続けていました。その姿勢には、本当に頭が下がりますね。
双子の子供「フジ」と「サクラ」誕生の物語
結婚から3年が経った2009年10月25日午前6時5分、ツーズー病院で男女の双子が誕生しました。
ドクさん夫婦は、分離手術やその後の支援に関わった日本への感謝の意味を込めて、長男に「フーシー(Phú Sĩ)」=富士、長女に「アイン・ダオ(Anh Đào)」=桜という名前をつけました。
予定日よりも約2ヶ月早い出産だったため、夫婦は不安だったと思いますが、無事に双子が生まれたことは本当に喜ばしいことでした。
ドクさんは当時、「日本の援助のおかげで自分は生きている」と語り、子供たちに日本にちなんだ名前をつけることで恩返しの気持ちを表したのです。
人工授精によって授かった双子だったそうですが、子供たちは健康に育ち、2025年現在では16歳になっています。
ちなみに、ドクさんはインタビューで「子どもたちが健康に大きく育ってくれたことはうれしい」と喜ぶ一方で、学費や食費がかさむ悩みも正直に語っていました。親としてのリアルな苦労が伝わってきますよね。
父として、夫としての今の生活
ドクさんは現在、ツーズー産婦人科病院で事務職員として働きながら、NPO法人「美しい世界のため」の代表として活動しています。
また、ベトナムと日本との親善団体「ドク・ニホン(DUC NIHON)」の仕事も掛け持ちしているとのこと。
月収は約3万円程度だそうで、双子の養育費や闘病中の義母の介護費用を考えると決して楽な暮らしではありません。しかし、ドクさんは「私は幸運な男だ」と語り、家族と過ごす時間を何よりも大切にしています。
2024年に公開されたドキュメンタリー映画『ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛』では、そんなドクさんの日常が描かれています。
妻のテュエンさん、双子のフジくんとサクラさん、そして闘病中の義母を自宅介護しながら生活する様子が映し出され、家族の絆の深さが伝わってくる内容です。
わたしもアメリカや中国、欧州で暮らした経験がありますが、どこにいても家族の存在は何よりも大きな支えになりました。ドクさんが「今、幸せ」と言える理由は、まさにこの家族の絆にあるのだと思います。
日本との繋がりはどこから?分離手術と支援の歴史
ドクさんと日本との深い絆は、1988年の分離手術に遡ります。
日本赤十字社をはじめとする多くの日本人医師や支援者の協力なしには、今のドクさんの人生はありませんでした。
1988年、運命を変えた分離手術
ドクさんと兄ベトさんは、1981年2月25日、ベトナム中部コントゥム省で下半身がつながった結合双生児として生まれました。
ベトナム戦争で米軍が散布した枯れ葉剤の影響とみられる障害で、2人は足が2本しかなく、肛門も1つという状態でした。
1986年5月、兄のベトさんが高熱に襲われ、意識を失う事態が発生しました。診断は「急性脳症」。ベトさんへの大量の投薬はドクさんにも影響を及ぼし、このままでは2人とも死亡してしまう危険がありました。
そのため、1988年10月4日、ホーチミン市のツーズー病院で分離手術が行われることになったのです。手術時間は17時間にも及ぶ大手術でした。ベトさんには左足が、ドクさんには右足が与えられました。
日本赤十字社と日本人医師の支援
この歴史的な分離手術は、日本赤十字社の支援なしには実現できませんでした。ツーズー病院から相談を受けたベトナム赤十字社が、日本赤十字社に緊急援助を求めたのです。
日本赤十字社は当初、支援に慎重だったそうです。枯れ葉剤と結合双生児の因果関係が科学的に証明されていなかったためです。
しかし、人道的見地から支援を決断し、日本人医師4人を含む医師団70人が手術に臨みました。
手術前には、ベトさんとドクさんは1986年6月に来日し、東京・広尾の日本赤十字社医療センターで約4ヶ月に及ぶ入院生活を送っています。この時、ベトさんの急性脳症の治療が行われましたが、残念ながら後遺症が残ってしまいました。
それでも、分離手術は成功。ドクさんは義足を使いながらも自立した生活を送れるようになりました。日本の医療技術と支援者の献身的な努力が、ドクさんの人生を大きく変えたのです。
日本を「第二の故郷」と呼ぶ理由
ドクさんは日本を「第二の故郷」と呼び、これまでに53回以上も来日しています。講演活動や平和教育のメッセージ活動を通じて、日本との交流を深めてきました。
分離手術以降も、日本の支援者は「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」を立ち上げ、約20年間にわたって支援を続けてきました。ドクさんの高等職業学校での学費や生活費、医療費など、さまざまな面でサポートが行われたのです。
ドクさんは講演で「日本の皆さんのおかげで今の自分がある」と繰り返し語っています。その言葉には、深い感謝の気持ちが込められているんですよね。
わたしも見知らぬ土地で駐在を始めたころ、現地の方々に本当にお世話になりました。異国の地で受けた恩は、一生忘れることができません。
ドクさんの気持ちが、とてもよく分かります。
ドクさんから日本への恩返し〜東日本大震災で義援金を届ける
日本から受けた恩に対して、ドクさんは実際に行動で恩返しを示しました。2011年の東日本大震災の際には、ベトナムで義援金を集めて日本を訪れたのです。
被災地・宮城県気仙沼市との縁
ドクさんは2008年に宮城県気仙沼市で講演を行っており、この地との縁がありました。そのため、東日本大震災で被災した気仙沼市の人々のことを心配し、すぐに行動を起こしたのです。
2011年4月、ドクさんは「第二の故郷の日本の人たちに恩返ししたい」と知人らに呼びかけ、ベトナムで義援金を募りました。そして、集まった義援金を携えて来日し、日本赤十字社を通して被災地に届けたのです。
「恩返ししたい」と集めた義援金
ドクさんは2012年にも気仙沼市を訪れ、4年ぶりの再訪で震災による被害状況を自分の目で確認しました。その模様はNHK教育テレビでも放送され、多くの日本人がドクさんの行動に感動しました。
ベトナムは経済的に決して豊かな国ではありません。
そんな中で、自分を助けてくれた日本のために義援金を集めたドクさんの姿勢は、本当に素晴らしいと思います。
「寄付に協力していただいた気仙沼の人たちのおかげで、被災地に笑顔を届けることができた」というドクさんの言葉からは、相互の絆の深さが伝わってきますね。
外務大臣表彰と平和へのメッセージ活動
ドクさんの日本との交流や平和活動への貢献は、日本政府からも正式に認められています。
2021年、日越交流への貢献が認められて
2021年度、ドクさんは外務大臣表彰を受賞しました。これは、日越関係の強化と平和教育への長年の貢献が評価されたものです。
12月2日、在ホーチミン日本国総領事館で授賞式が開催され、ドクさんは「これからも日本とベトナムの架け橋になりたい」と決意を語りました。40年以上にわたる日本との交流が、こうして公式に認められたことは、ドクさんにとって大きな喜びだったに違いありません。
NPO代表として枯れ葉剤被害者を支援
ドクさんは2012年に慈善団体「Vì Một Thế Giới Đẹp Tươi(美しい世界のため)」を立ち上げ、その代表を務めています。この団体は、枯れ葉剤による被害者や生活困窮者への支援活動を行っています。
日本には同団体の日本支部があり、「NPO法人美しい世界のため」として活動しています。ドクさん自身が被害者でありながら、他の被害者を支援する活動を続けているのです。
また、ホーチミン市ツーズー病院の平和村でベトナム日本関係担当としても活動し、平和のメッセージを発信し続けています。
ドクさんは講演で「戦争の恐ろしさ、平和の尊さを次世代に伝えたい」と語っており、その言葉には重みがあります。
兄・ベトさんとの思い出と今も続く絆
兄のベトさんは、分離手術前に患った脳症の後遺症で寝たきりの状態が続き、2007年10月6日、腎不全と肺炎の併発により26歳で亡くなりました。
ドクさんにとって、ベトさんは自分の半身そのものでした。7歳まで文字通り一心同体だった兄の死は、ドクさんに大きな喪失感を与えたといいます。しかし同時に、「兄の分も生きなければ」という強い使命感も生まれたそうです。
ドクさんは「ベトちゃんがいつも一緒にいてくれる」と語り、講演活動や平和メッセージの発信を続けています。
2007年の兄の死をきっかけに、「自分が語ることに意味がある」と気づいたドクさんは、より積極的に活動するようになりました。
結婚後は、テュエンさんとともにベトさんを自宅に引き取り、献身的に介護を続けました。ベトさんが亡くなるまでの約1年間、夫婦でベトさんを支え続けたのです。
その姿からは、兄弟の深い絆が伝わってきますね。
映画『ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛』では、ドクさんが兄ベトさんとの思い出を語る場面もあるそうです。今も心の中で生き続ける兄への思いが、ドクさんの活動の原動力になっているのでしょう。
ドクさんの簡単プロフィール(生年月日や経歴)
ここで、グエン・ドクさんの基本的なプロフィールをまとめます。
1981年、結合双生児として誕生
【ドクさんプロフィール】
- 本名:グエン・ドク(Nguyễn Đức / 阮德)
- 生年月日:1981年2月25日
- 出身地:ベトナム中部コントゥム省
- 現在の年齢:44歳(2025年12月時点)
- 兄:グエン・ベト(Nguyễn Việt / 阮越、1981年2月25日 – 2007年10月6日)
ドクさんは兄ベトさんとともに、下半身がつながった結合双生児として生まれました。ベトナム戦争で散布された枯れ葉剤の影響とみられる障害で、2人は足が2本しかなく、肛門も1つという状態でした。
生後まもなく、ホーチミン市のツーズー病院にある療育施設「平和村」で育てられ、多くの医師や看護師の献身的なケアを受けて成長しました。
分離手術後の歩みと現在の仕事
1988年10月4日の分離手術成功後、ドクさんはリハビリを重ね、義足を使って歩けるようになりました。高等職業学校でプログラミングなどを学び、2003年にツーズー病院で事務の仕事に就きました。
現在もツーズー産婦人科病院の事務職員として勤務しながら、以下の活動も行っています。
- NPO法人「美しい世界のため(Vì Một Thế Giới Đẹp Tươi)」代表
- ベトナムと日本の親善団体「ドク・ニホン(DUC NIHON)」主宰
- ツーズー病院平和村ベトナム日本関係担当 ・ホーチミン越日友好協会役員
講演活動や平和教育のメッセージ発信にも積極的で、これまでに53回以上来日しています。2021年度には外務大臣表彰を受賞しました。
家族は妻のグエン・ティ・タイン・テュエンさん、双子の子供たち(長男フーシー、長女アイン・ダオ)の4人家族です。
世間の反応やSNSの声
ドクさんの「徹子の部屋」出演や活動に対して、SNSではさまざまな声が上がっています。
- 「37年ぶりの再会、感動的すぎる。ドクさんの笑顔を見ると、本当に頑張ってきたんだなと思う」
- 「双子の子供の名前がフジとサクラって、日本への感謝が伝わってきて泣ける」
- 「月収3万円で双子を育てて義母の介護もして…本当に大変だと思うけど、幸せだと言えるドクさんは強い」
- 「東日本大震災の時に義援金を集めてくれたこと、日本人として本当に感謝したい」
- 「ドクちゃんの映画を観たけど、家族の絆の深さに感動した。これからも応援したい」
などなど、
多くの人が、ドクさんの生き方や日本との絆に感動し、応援の声を送っています。特に、恩返しの精神や家族を大切にする姿勢に共感する声が目立ちますね。
明日の徹子の部屋、ベトちゃんドクちゃんのドクちゃんだって。めっちゃ見たい。TVerで1週間配信するぞ pic.twitter.com/dTrB5GfMWw
— しん@🐸📕🚴ウーバー東京 (@Deneb_Antaresss) December 11, 2025
まとめ:ドクさんが築いた幸せな家族と日本との深い絆
グエン・ドクさんについて、この記事で分かったことをまとめます。
【要点まとめ】
- 2025年12月12日、「徹子の部屋」に出演し37年ぶりの感動再会
- 2006年12月16日に妻グエン・ティ・タイン・テュエンさんと結婚
- 2009年10月25日、双子の子供「フジ」「サクラ」が誕生
- 1988年10月4日、日本赤十字社の支援で分離手術に成功
- 東日本大震災では義援金を集めて被災地を支援
- 2021年度、日越交流への貢献で外務大臣表彰を受賞
- NPO代表として枯れ葉剤被害者を支援し平和活動を継続
- 兄ベトさんは2007年に他界、今も心の中で生き続けている
- 現在はツーズー病院で事務職として働きながら53回以上来日
ドクさんの壮絶な人生と、それを支えた家族や日本の支援者との絆が、少しでも伝わっていれば嬉しいです。
分離手術から37年、今は妻と双子の子供たちと幸せに暮らしているドクさんの姿は、多くの人に勇気を与えています。
わたし自身、世界各地で働いてきた中で、人と人とのつながりがどれほど大切かを学びました。ドクさんと日本との絆は、国境を越えた友情の素晴らしいモデルだと思います。
これからもドクさんの平和活動が世界中に広がり、次世代に受け継がれていくことを願っています。
ドクさんに関する新しい情報が入ったら、また追記していきますね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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